甲賀(甲南町)の昔ばなし
2014年 07月 29日
忍者を知っている方は多いと思いますが・・・
『忍術のはじまり』 ってご存知ですか??
甲賀流の忍術を一番最初にはじめた日本最古の忍者は・・・・
『大判 細入』 (本名:杉原 斎入坊)で、
飛鳥時代、聖徳太子が志能便(しのび)として活動させていたと伝えられています。
杉原は、馬杉村(現在の甲南町上馬杉、甲南町下馬杉)に住んでいました。
杉原姓は馬杉村の旧名「杉原村」から由来していて、杉の木がたくさん生えていたことから
「杉原」と呼ばれていたのだとか・・・・w(゜-゜)w まんまデスネ。
そして、杉原村を訪れた聖徳太子が杉の木のひとつに馬をつないだことがキッカケで
『馬杉村』になったそうです(笑)
それより、聖徳太子が甲南町に来てた!?ことの方が(本当なら)ビックリです!!BIGニュースですょ!!
話がそれてしまいましたが・・・・・
ここからが忍術のはじまり、はじまりーーーー(^^)/
ある日、杉原が美しい景色を見ようと山へ入り、道に迷ってしまいました。
帰り道がわからず困っていた時、一人の白髪の老人があらわれて、「おまえに授けるものがある。よく読んで考えよ」と言って、忍術の巻物を三巻差し出しました。そして「わからない事があったら、ここへ来たらおしえてやろう。それから、この術を身につけても、欲の深い者には教えてはいけない」と、いいのこして、老人は姿を消しました。
杉原は、その後も何回も山に入って、老人におしえてもらいました。いよいよ術をみがいて、杉原は二巻の巻物にして残しました。その一つを「軍備の備えの巻」といい、もう一つを「虎の巻」といいます。老人からもらった三巻と合わせて「忍術奥義の巻」と言われているのです。
【甲賀流忍術屋敷】
この建物は甲賀流忍者五十三家中の筆頭格、望月出雲守の住宅として元禄年間に建てられました。一見普通の家ですが、中は外敵に備えて非常に複雑な仕組みになっていて、いろいろな仕掛けがあり、昔の忍者の様子がうかがえる屋敷です。
いかがでしたか?
忍者に興味のある方は
8月3日開催
地元ガイドとまち歩き
≪忍者発祥の地、忍びの里散策コース≫へ
ぜひご参加ください!!
(※甲賀流忍術屋敷もコースに入ってます!!)
詳細は甲賀市観光協会HPへ
『忍術のはじまり』 ってご存知ですか??
甲賀流の忍術を一番最初にはじめた日本最古の忍者は・・・・
『大判 細入』 (本名:杉原 斎入坊)で、
飛鳥時代、聖徳太子が志能便(しのび)として活動させていたと伝えられています。
杉原は、馬杉村(現在の甲南町上馬杉、甲南町下馬杉)に住んでいました。
杉原姓は馬杉村の旧名「杉原村」から由来していて、杉の木がたくさん生えていたことから
「杉原」と呼ばれていたのだとか・・・・w(゜-゜)w まんまデスネ。
そして、杉原村を訪れた聖徳太子が杉の木のひとつに馬をつないだことがキッカケで
『馬杉村』になったそうです(笑)
それより、聖徳太子が甲南町に来てた!?ことの方が(本当なら)ビックリです!!BIGニュースですょ!!
話がそれてしまいましたが・・・・・
ここからが忍術のはじまり、はじまりーーーー(^^)/
ある日、杉原が美しい景色を見ようと山へ入り、道に迷ってしまいました。
帰り道がわからず困っていた時、一人の白髪の老人があらわれて、「おまえに授けるものがある。よく読んで考えよ」と言って、忍術の巻物を三巻差し出しました。そして「わからない事があったら、ここへ来たらおしえてやろう。それから、この術を身につけても、欲の深い者には教えてはいけない」と、いいのこして、老人は姿を消しました。
杉原は、その後も何回も山に入って、老人におしえてもらいました。いよいよ術をみがいて、杉原は二巻の巻物にして残しました。その一つを「軍備の備えの巻」といい、もう一つを「虎の巻」といいます。老人からもらった三巻と合わせて「忍術奥義の巻」と言われているのです。
【甲賀流忍術屋敷】
この建物は甲賀流忍者五十三家中の筆頭格、望月出雲守の住宅として元禄年間に建てられました。一見普通の家ですが、中は外敵に備えて非常に複雑な仕組みになっていて、いろいろな仕掛けがあり、昔の忍者の様子がうかがえる屋敷です。
いかがでしたか?
忍者に興味のある方は
8月3日開催
地元ガイドとまち歩き
≪忍者発祥の地、忍びの里散策コース≫へ
ぜひご参加ください!!
(※甲賀流忍術屋敷もコースに入ってます!!)
詳細は甲賀市観光協会HPへ
by koka-kanko
| 2014-07-29 16:43
| 甲南町